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小さな物語が世界を作る
「目標はラスベガス!-2-」When I reach the age of ninety奥山久代さんは、2人の娘と1人の息子を持つ典型的な日本の主婦で、子供たちと義母の世話に追われる忙しい生活を30年間続けてきた。しかし、彼女は60歳になったある日、家には子供たちもなく、ただ夫と2人、黙って居間に座っていることに、ふと気がつ いた。久代さんは夫とよく話し合い、健康維持のために、それぞれが好きなことをして残りの人生を過ごすということに落ち着いた。 そうした事情から、彼女は自分が70歳まで健康でいられるようにと、社交ダンスを習い始めた。 ある日、彼女が美容院で雑誌を読んでいると、「オバジェンヌ」の記事を目にした。彼女と話をしていた美容師は、久代さんがダンスに興味があるのを知って、「オバジェンヌ」参加申し込みの葉書を出すように、彼女を励ましたのだ。 ![]() 「オバジェンヌの6年間はあっという間に過ぎて、本当に一瞬でした」 彼女は自分がオバジェンヌだった日々を振り返る。「先生が厳しく、間違えなく覚えることが絶対です。」 「そして皆が同じ目標に向かって、努力していました。それはすごく励みになったし、達成 感はこの上ない喜びでした」と。 しかし、彼女の挑戦は、次のステップに移っている。それは、技術にさらに磨きをかけ、社交ダンスですばらしい踊りを披露すること。カイロプラクティックでのパートと終えると、 週2、3回、彼女はレッスンに駆けつける。 数年前、奥山久代さんは、90歳の女性のダンスを見た。その女性は骨粗しょう症に苦しみながらも、70歳で社交ダンスを始めたという。ヒサヨさんはあらためて誓った。 「彼女のようになる。私もがんばる」と。 「難しいことにチャレンジするのが好き」と単にステップを踏むことではなく、“女性はフォローの役“それをいかに美しく見せるかという難しいことを習っていると言う。 健康が許されるなら、今の目標は80歳まではやりたい。そのためには自分の腕を上げることに努めるの」と。 エルダーの人たちが、人生を楽しんでいるところを知ろうとすると、そこにはロマンティックな何かがある。 小さな物語・取材こぼれ話 -2-約束のJR飯田橋駅には少し早く着いた。改札を出ると、白いブラウスで毅然として立って、人待ちをしている女性が眼にとまったが、イヤこの人ではない、紹介されるのは70才過ぎの女性と聞いている。どこかインタビューに適当なお店がないかと近くを探してもどると、このインタビューをアレンジしてくれた小新井さんが、あの白いブラウスの女性とおしゃべりをしている。えっ! 3人のお子さんは既に40歳台になるという奥山さん。「子育てとお姑のための人生を歩んできた。そして60歳になったら子供は独立、元旦の朝ダンナと二人きりになっていた。」そのとき電線会社の技術者だったご主人とは「60歳からそれぞれ自分のためになることをしていこう。二人同じことをしたくない。お互いに外に出て元気なのが良い。」と話し合い、自分はバレーの道を見つけ出した。「60才を過ぎて今が一番充実している」と言う。 その彼女が「男の人達はどうしているか?大丈夫か?」と真顔で聞く。「皆が定年になったら大変よ。定年になったらやれ海外旅行だ、なんだなんて言うけれど、そういうことは長く続かない。2年も経てば終わり。」「会社や組織をほっぽりだされて、どうしようもない」男の姿をたくさん見て、心配だと言う。 これからは「子供が中学になったら、父親が学校行事に出なければだめ。」と力説し、エルダーライフは、30歳で始まっているのではと思わせた。 「目標はラスベガス!-1-」The goal is on the stage in Las Vegas世間がニューヨークのブロードウェイで、2005年へのカウントダウンを叫んでいたころ、小新井凱子(こあらいよしこ)さんは、地元の稲城神社で祈っていた。家族が元気に良い年を過ごせますように、そして、いつか彼女自身がラスベガスに行けますように。日本で視聴率81%を記録したこともある大晦日のテレビ番組に出演した後で、彼女は初詣にやってきたのだった。 氷川きよしが2004年の彼のヒット曲を歌うバックで、17人の「オバジェンヌ」仲間とともに彼女が踊っていたのは、まさに2004年の大晦日のことだった。 「パリジェンヌ」になぞらえて名づけられた「オバジェンヌ」は、プロの女性ダンシング・チームで、チームの平均年齢は、55歳である。最高齢は、77歳。そう、日本語の「おばさん」は、もともとは主婦のような中高年の女性を意味しているが、今では、鈍感で自己中心的な女性を指すことが多い。したがって、「オバジェンヌ」は、「パリジェンヌ」の香りを持った「おばさん」ということになる。 「11年前に事故で夫を亡くし、夫のことを泣かずに語れるようになるのに、4年かかりました。もし夫が今も生きていたら、私がこのチームに入ることはなかったでしょう。」 凱子さんの友達で、55歳のオバジェンヌは笑顔で語る。 「私は、本当にこのチームが楽しくて、満足しています。オバジェンヌのおかげで生活が大きく変わりました。自分の成人式と結婚式にしか、化粧をしたことがなかったのですが、今では、髪の色も変えています。」 ![]() 「オバジェンヌ」のダンサーの皆さん 1959年にラスベガスでデビューしたプロダンサーのホシノタカシさんの指導の下、「オバジェンヌ」は毎週最低2回の練習を重ねている。 ![]() 「オバジェンヌ」とホシノ先生(右) 凱子さんは言う。「子供のころから、ずっとダンスが大好きでした。バレーの先生になるのが夢だったんです。オバジェンヌは、私がいろいろ経験して学んできたことを、最大限生かせる良い機会だと強く思いました」 63歳の主婦でもある彼女は、チームに参加した日のことをこう振り返る。そして、「次の夢は、オバジェンヌのショーでラスベガスで踊ることです」と言う。 小さな物語・取材こぼれ話 -1-米国の西海岸にあるハッピー・エルダー社のパートナー会社“スマート・シルバーズ・アライアンス”から、「日本ではエルダーの間で、脳の健康によいと言ってダンスが盛んと聞いたが、どういう状況なのだろうか?」とメールが届いた。アメリカでは40歳以降の人達をブーマーと呼んでいるが、そのブーマー市場の動向や、健康やフィットネスなどにかかわるイベントの企画、さらに世界中から最新製品情報を集め紹介している会社からのお尋ねである。日本映画「Shall We Dance?」はアメリカでも上映され話題になったという。 バレエ、それも主にクラシック・バレエを職業としている人達(ダンサー、振付家、バレエ教師など)が会員という社団法人日本バレエ協会のサイト(http://www.j-b-a.or.jp/)を覗くと、約2、700名会員が登録され、全国にあるバレエ教室が検索できる。「よくある質問」には、“子供にバレエを習わせたいのですが、・・・”と質問が並ぶ。 最初にコンタクトできたのは、その幼年や児童にバレエを教える教室に、「成人」の名前で通い始めて10年という千葉県の女性。二人の子供は学校を卒業し自立、ご主人は大阪に単身赴任、両親の介護に毎月故郷を往復するという。子供の頃から憧れていたクラシック・バレエをやりたいと新しいトウシューズを買い、週2回の練習に通い、最近は教室が主宰する公演会で「白鳥の湖」を踊ったという。 社交ダンス、ジャズダンス、フラメンコといくつかたずね、最後に伝を頼りにたどり着いたのが、「オバジェンヌ」。数人のメンバを紹介してもらったのは、オバジェンヌのメンバの一人でもある団塊の世代の女性がボーカルを唱う横浜のジャズ演奏のパブ。公演の写真を片手に、“若さと楽しみを求めているの”と明快の弁。年1回の東京での定期公演の他にもいくつか出演の 予定があるからと名刺に書き込まれ、「見にきてね」と念を押されているうちに「脳」の質問は飛んで行ってしまった。 「オバジェンヌ」情報
When I reach the age of ninetyMrs. Hisayo Okuyama was a typical Japanese householder, having two girls and one boy with a busy daily life taking care of her kids and parents-in-law for thirty years. But one day when she had turned sixty, she realized that there were no kids in the house and that only her husband and she were sitting in the living room in silence. They talked over and agreed that they would enjoy the rest of their lives doing what they want to do while of course maintaining good health. That is how she began taking ballroom dance lessons, hoping this will keep her in good health till the age of seventy. While she was sitting in a hair salon reading a magazine, she came across the article of Oba-sienne. The coiffeur, who chatted with her, knew her interest in dancing, encouraged her to send a postal card for an interview of becoming an Oba-sienne. "Six years in the team of Oba-sienne went by so fast, really in a flash", she looks back at the time she was a member of the dancing team, "everyone was striving for the same goal. It was encouraging and the feeling of accomplishment was really a great joy for me." She, however, has moved onto the next challenge - improving her skills more and doing beautiful performance in the ball room. Two or three times a week, after her part time job at a chiropractor, she runs to her lesson. A few years ago, Ms. Hisayo Okuyama saw the dance demonstration of a ninety-years old lady who suffered from a serious osteoporosis but started floor dancing at the age of seventy. She made her next pledge to, "I will be like her and keep doing my best." There is something romantic about this pursuit of knowing exactly where elder people are enjoying their lives. The goal is on the stage in Las VegasWhile you were yelling the count down for the New Year 2005 on Broadway in New York, Mrs. Yoshiko Koarai was praying at the Inagi Shrine in her local town - for her family's good health, glory, and ….. that she could go to Las Vegas one day. This was her new year's resolution to God following her work on stage for New Year's Eve TV program that marked after highest audience rating record of 81% in Japan. It was the New Year's Eve for the year 2005 that she was performing as one of the back dancers along with seventeen other Oba-siennes while Kiyoshi Hikawa, a young Japanese idol singer, sang his best selling song of the year 2004. The team "Oba-Sienne", named after "Parisienne" is a professional dancing team which consists of ladies, the average age being fifty-five years old. The oldest member is seventy-seven years old. Yes, the Japanese word "Oba-san" originally means middle age women or old lady such as a housewife and now, implies more like lacking sensitivity, attention except herself, therefore Oba-sienne clearly defines something like old ladies with the sense of Parisienne. "I lost my husband in an accident eleven years ago, and it took me four years until I could talk about him without tears. If my husband were alive, I would not be in the team." The fifty-five-year-old Oba-sienne, a friend of Yoshiko, continues with a big smile, "The team is really fun for me and self satisfying. It dramatically changed my life style. I never used to put on makeup except for my coming of age ceremony and my wedding day, but, our Oba-sienne changes even my hair color dyeing with makeup." Led by Mr. Takashi Hoshino, a professional dancer who started his career in Las Vegas in 1959, the team Oba-sienne practices as a team lesson at least two times a week. Yoshiko commented, "I've loved dancing since I was a kid. It was my dream to become a ballet dancer. I thought Oba-sienne must be a great opportunity for me to maximize what I have gained from my experience." She, sixty-three-year-old housewife, recalls the day she join the team. And she says that her next dream is to dance in Las Vegas on the stage of the Oba-sienne show. |
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